有事でのいちアクエリアンの情報に関する解釈と見方

2020年年明け間もなく、中国から始まった新型コロナウイルス禍。この数ヶ月で世界が一変しましたが、情報の混乱や錯綜だけでなく、主観ばかりで偏りのある情報や誤報、デマやフェイクニュースなども混在し、新型コロナウイルスとそれに付随する様々な情報について矛盾が目立つようになりました。

相反する情報があると、私のような専門知識がなく何が正しいのかわからない一般市民でも、その矛盾の度合いで、何がおかしいのか、あるいはどれも正しいのか、またはすべて間違いであるなど、その相関性である程度の傾向や考え方の取捨選択ができるようになります。

最近、仕事でデータ分析をしていることもあり、まだまだ勉強不足を感じながらも、そもそもデータ(情報)とはどう見てどう使うものなのか、という本質のようなところは少しずつ理解できるようになってきたと思っています。

だから、誤情報も、見方を変えれば数あるデータの1つでしかありません。誤情報が世の中にあふれ始めたら、なぜそのようなことが起こり始めたのか、今何が起こっているのかを考えるきっかけにもなります。

誰が、どんな状況で、その情報を発信するに至ったのか。
それはパニックからくるものなのか、故意的なのか、善意なのか、悪意なのか。
どのような立場の人が発信した情報で、発信者のどのような思惑やフィルタがかかっているのか。

今、世の中は情報戦の様相を呈しているようにも感じます。幸い、私たちにはまだ、多くの情報から信じるものを決める選択権が与えられています。

でも、1歩間違えば、それは命に関わる選択になるかもしれません。

だからこそ、情報に敏感になり、その情報が持つ本質さえも見極めて、身の振り方を考えていく必要があります。

そして、忘れてはいけないのは、情報はあくまで参考にするものであって、最後にその情報の価値を決め、その情報を元に判断して、言動を決定するのは自分だということ。

何を信じ、何を信じないのか。

特に有事の際は、どんな情報も鵜呑みにしないこと、手放しで信頼したりしないことが身を守る1つの方法ではないかと思います。

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少し前までは、ネガティブな情報に引っ張られるのが嫌で、そろそろ情報を遮断しようと思っていました。

でも、情報の遮断をして真実から目を背けてはいけないのだと思うようになりました。

だから今は、色々な情報に触れたいと思っています。真偽問わず色々な情報にさらされることで、その背景に浮かび上がってくる本当の世界の姿を知る必要があると思っています。

そして、すべての情報が真実であり、すべての情報が嘘であることを前提にして、その両局面を想定することで、様々可能性をその情報から考えるようにしています。

そうすることで、専門的なことが何ひとつわからなくても、そこから発生する矛盾を解消していけば、仮説ではあるけれど、ある程度の真実にまではたどり着くことができるからです。

そして大事なことは、事実が嘘か本当かを暴くことではなく、情報をどう解釈し、どう役立てていくかということ。

情報は得るもの、そして使うもの。

ネガティブな影響も多いですが、そこに感化されることなく、さらに操作された情報さえも役立つものとして使うくらいの気概が今は必要なのかなと思っています。

とは言え、知らない方がいいこと、という現実は少なからずあり、すべてを知ることが幸せとは限りません。人によってはやはり情報を遮断したほうがいいのでは、と思うこともあります。

私は情報収集を選びましたが、それがマイナスにしかならないようであれば、すぐに情報をシャットアウトすべきだとも思っています(もしかしたら私も、少ししたらまた情報を遮断することを選ぶかもしれません)。

情報は参考にするものであり、特にこんな有事のときには、どんなことも決して盲信はしないこと。
情報の背景まで考え読み取ること。
その情報から得られるすべての可能性を考えてみること。
今はもう情報の責任は発信者ではなく受信する自分たちにあるということ。

来たる風の時代は「情報」が重要なファクターになると言われています。
上記はすべて私個人の考え方ですが…今から「情報リテラシー」以上の情報を扱うスキルを身につけておきたいですね。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。
早く真の喜びのニュースであふれる世の中が訪れることを願って。

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