『MOTHER3』を思い出す日〜この作品が暗示していたこと

先日の「土星逆行」からの「どせいさん」連想で、ゲーム『MOTHER』熱が再燃してしまった私。

熱が下がらず、どんなストーリーかうろ覚えだった『MOTHER3』の実況をなぜか見てしまいました。

見てから、後悔…。

このゲームはエンディングというかラストバトルがとにかくえげつなく…こんな悲しいシーンは二度と見たくない、そう思っていたのに、なぜかまた見てしまったのでした。

そのラストバトルにつながるストーリーも、今思えば最初から決まっている設定だったという残酷さ。

できたばかりの傷口に塩を塗り込むような、ひりつくような生々しい痛みをもたらすこの残酷さは、ゲーム開始直後からたびたび顔を出し、『MOTHER』という独特の世界観の中で、人生の、そして世界の嫌な側面を妙なリアリティを伴って正面から突きつけてくるのです。

ただ、リアルタイムでプレイしていたころは、今ほどストーリーの本質やメッセージ性のようなものを受け取ることができておらず、なんとなく後味の悪さのようなものを感じていただけでした。

でも、今改めて見ると、世界の真理、そして密閉された真実を内包したかのようなストーリー展開、そしてエンディングは、現在の不安定な世界情勢と、そこから浮かび上がる様々な現実にリンクしているようにも見え…正直、恐怖心が芽生えました。

なぜ今、このタイミングで『MOTHER3』を見てしまったのか…。
自分の意志というよりも何かによって「見せられた」、そんな気持ちです。

以前の記事でも書きましたが、『MOTHER3』のストーリーを俯瞰して見ると、時代の変化とパラダイムシフトの過程ともとれるような描写が随所に見える気がしています。

火の時代から地の時代を経て、風の時代へーー。

特に私が現実と重ねてしまったのは、エレメントが移り変わるパラダイムシフトの過程、まかり通る悪とそれに気づかない人々、そして破壊と再生のエンディングです。

『MOTHER3』の中で最後に起こった浄化作用のようなものが今の地球にも必要なのだと、見えない何かに諭された気分でした。でも、それが本当に起こってしまうのだとしたら…。

そうそう、もう10年以上前のものになりますが、プレイした後の感想を過去のブログで見つけました。あのころはやはりまだ子どもで、このゲームの本質や残酷さをあまりわかっていなかったようです。

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2007年2月10日

不思議なゲームでした。
捉えどころがないんだけれど、
でも、ずっしり残るというか…。

24時間以内に終わらせる、
という目標が自分の中にあったので、
飛ばしているところがあったら嫌だなと思い、
終わった後、珍しく掲示板の書き込みなんかを見ました。

そうしたら皆さん、
色々と思うところがあるらしく、
感想から分析まで、
私が感じたこと以上のものが書き込まれていてビックリしました。
好きとか、感動したとか、
エンディングに納得がいかないとか、
暗いとか…本当に色々。

残酷というか、悲しい場面も多かったので、
前作の愉快さ(?)と比べると、
ただ楽しいばかりのゲームではなかったかな、とは思います。

でも、前作のストーリーを引き継いだ終盤部分は
とても懐かしい気持ちになったので、
そういう演出はすごく嬉しかったし、
やっぱり最後には泣きました…悲しくて。

私はこのゲームの本質というものに
いまいち気づけていませんでしたが、
今回は特に、大人向けのゲームだったのかもしれません。

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友人がつい最近『ウォーキング・デッド』を見始めたそうですが、今このタイミングで見るんじゃなかった、と言っていました。あの作品はウォーカーが問題かと思いきや、実は人間の方が怖い、というドラマ。

『MOTHER3』も言ってしまえば、ポップな世界観の中、そこはかとない人の悪意が怖く、その分、人の優しさや愛情がストレートに心にしみるゲームでした。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。
色々と書いてしまいましたが、『MOTHER3』は様々な角度から人々の在り方を浮き彫りにし、問題提起するすごいゲームだと思っているし、これからもずっと『MOTHER』シリーズのファンであることに変わりはありません。

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