心配事を現実化しないために

コロナ禍と自粛期間中のことを振り返ってみて、幸いなことに私は総じて良いことが多かったのですが、「今後は気をつけないとな」と思ったことが1つだけあります。

それは「心配のエネルギーを他者に送ったり伝染させてしまわない配慮を忘れないこと」です。

「心配」って、本来は「心を配ること」なので、それ自体は問題ないのですが、実際はネガティブな意味合いが強い言葉。使うシーンも、危ないときとか、どちらかというとネガティブなことに対するときが多いですよね。

そして、誰かを心配する気持ちやお声がけは、一見、他者に対する気遣いや思いやりのようにもとれるのですが、心配って「心配事(多くは相手の不幸)の実現を無意識に願ってしまう行為」、なんですよね。

心配することにより、相手の不幸を強くイメージしてしまい、現実化に向けたエネルギーを使っていることになるんです。

初めてこの仕組み?考え方?を聞いたときは怖くなったのですが、あり得る話だと思い、それからは心配な気持ちはあえて伝えない、もしくはポジティブな言葉に変換してから伝えるように心がけていました。

でも今回、知らず知らずのうちに誰かを心配してしまっていたり、心配する言葉を身近な人にかけてしまっていて…ネガティブな現実化に加担してしまったこと、反省しました。

特に今回は世界規模で様々なニュースや報道があり、不安や恐怖を感じた人、心が揺さぶられた人が多かったと思います。普段は冷静な方、周りに流されない方も、大きくなりすぎたネガティブなエネルギーに少なからず流されてしまったことはあったのではないでしょうか。

そんな中、事態を楽観視するのはさすがに難しかったと思いますが…個人的には、必要以上に心配や不安な気持ちを持たない意識、特に、自分の得た情報で他者を不安にさせるようなことは避けられたのではないかと思っています。(友人と話していたときに不安のお裾分けをしてしまっていることにハッとして、それからは余計なことを言わないよう気をつけるようになりましたが…)。

生きていく限り、他者を心配する機会というのはこれからも幾度となく訪れると思います。

でも、心配のほとんどは、良くない状況の現実化に加担してしまうこと。ケースや程度により影響は違うのだと思いますが、自分のことでも他者のことでも、「大丈夫かな…」という心配ではなく、幸せや成功にフォーカスした心配り…応援ができるようになりたいものです。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。
「心配」は悪気なく無意識にしてしまうことが多いものなので難しいですが…「心配」を「応援」もしくは「信頼」に変換して相手に届けることができますように。

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