夢や願望への執着が可能性への制限になることもある

「夢」や「願望」は自分にとって本当に必要なことか?

最近、こんなことをよく考えます。

というのも、少し前から「願望に執着しすぎると却って可能性の幅を狭めてしまうことになる」ということを実体験として体感し始めたから。

この場合、夢や願望というのは、目的ではなく手段であることの方が多いのですが…

多くの方が使っている言葉を借りるとするなら「宇宙の采配」の方が、自分の頭で考えて出したベストなことよりもよっぽどすごいんですよね。

だから、自分の思い描くベストに固執しまうと、宇宙の采配によりそれ以上のチャンスがもたらされても、そのすごさに気づけなかったり、あえて自ら放棄する選択をすることになってしまいます。

最近そのような気づきが立て続けに起こったので、「何かを望むと却って良くないのではないか?」というところまで考えが及んでいます。

実際、最近は特に、自分で選んで決めて進もうとした道よりも、向こうからやってきたことの方が、自分に合っている気がするし展開もスムーズなんです。

だから、風に飛ばされないようにロープにつかまり、自分が「こっちだ」と思う方へ頑張って前進するのではなく、いっそロープを手放して風に飛ばされちゃった方がいいのかなと。

どこに行くのかわからないし、安全性も保証されていないので、とても怖いことではあるのですが…

もしかしたら、風に乗るのはとても楽しくて、目的地にもあっという間につけてしまう…なんて可能性も、なきにしもあらず、ですからね。

今日は月が射手座に滞在しているので、「可能性」と「制限」について考えてみました。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。
本格的な水瓶座の時代に向けて、多くのポジティブな可能性が開花することを願って。

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