祈りを力に〜心配事も「祈り」に変換〜

おこもり期間中に『MOTHER2』のプレイ動画を観てから、「祈りの力」を密かに試しています。(といっても、思い出した時だけですが…)。

『MOTHER2』では、最終決戦で「いのる」という戦闘コマンドが勝敗のカギを握っていて、いのることでみんなの力を集め、敵を撃退します。その時に「祈りには力がある」という発想を思い出したというわけです。

未熟者の私は思っていても実行にうつせないことがまだまだ多いので、この「祈る」コマンドが使えるシーンが多々あります。

先日も、鳥のヒナが巣から落下してしまったのか、道の真ん中で動けずにただひたすら鳴いている、という場面に遭遇した時に、祈るコマンドを発動しました。

どうにかしてあげたいけど、下手に触って命を奪うことになっても…と、どうしてあげるのが一番なのかがわからず、とりあえず自分の所用を済ませる間に「あのヒナに適切な助けがきますように…」とひたすら祈る…というか、念じていました。

そして所用を済ませ、5分後くらいにその場に戻ると、ヒナの姿はもう見えなくなっていました。近くで鳥の鳴き声がしたので、誰かが道の端などに移してあげたのかもしれません。少なくとも、人通りが多く、自転車なども通る場所での危険からは遠ざかることができたようで、ホッとしました。

私の祈りが通じたからなのか、その因果関係はわかりません。でも、結果が望みどおりになったので祈った甲斐があったとは思っています。

この祈り(思い)の力、何で見たのかは失念してしまいましたが、量子力学的に(ということになるのでしょうか)、思った量だけ現実化への後押しになるそうなんです。

言葉の質量化は難しいのですが、1回言うよりは100回言う方が力がある、ということですね。

思いの量を数量化(?)するなんて風の時代っぽい考え方ですが、理論としては筋が通っていると思いました。主に物質に限ったことではありますが、私たちは量が多い方が力を持つ、ということをすでに知識としても体験としても知っています。

それが、「思い」という目に見えないものになったからといって、「そうではない」と否定できる根拠にはなりません。目で見えないから確かめることができない、というだけなのですから。

以前、別の記事でも書きましたが、「心配事が現実化してしまう」ことはこれと同じ原理です。

心配も一種の祈り、と言えるかもしれません。

だから、心配するのではなく…無事を祈る。ベストを祈る。

心配も祈りも、実現してほしいことは恐らく同じ。であれば、単純に言葉を変えることで、心配は祈りに変わります。

注意点としては、人間の思考量は顕在意識よりも無意識下で考えていることの方が圧倒的に多いので、無意識での思考のクセがネガティブな場合、どんなに意識的にポジティブに祈ったとしても、無意識化でのネガティブな言葉の数の多さがブロックとなり、実現化しないケースもあります。

無意識化での思考が色々なことの現実化を妨げている、もしくは起こってほしくないことの現実化を促している、というのは、私自身、身に覚えがあって痛感していることです。

だから逆に、今回のような「ヒナが道に〜」というケースは、私の祈りが通じたと仮定するならば、普段、そんなことが起こると想定しているわけではないので、自分の中にそのようなシチュエーション自体がなく、心配も不安も希望もないというまっさらな状態だったので、「適切な助けがきますように」という祈りがストレートに現実化への力となったのかな、と思っています。

もしも私が毎日無意識に心配しているようなことだったら、祈ったとおりにはいかなかったかもしれません。

(あっ、祈りの言葉は「適切な助け…」よりも、「親元に無事に戻れるように」の方が良かったのかな…)。

「密かに祈る」ことを始めてから気づいたことなのですが、祈りの言葉選びはけっこう難しいです。現実化してくれたらベストな言葉って、意外とパッと出てこないんです。

これも訓練あるのみ、ですね。

月は引き続き魚座に滞在中。

keikoさんの『月星座パワーブック』によれば、「祈り」は魚座管轄の行為のことのようです。

祈りというと、何となく宗教を連想して厳格なイメージになってしまいますが、自覚していないだけで、本来は多くの人があたり前に行っていることだと思うんです。

「祈りの力」、よろしければ皆様も試してみてくださいね。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。
祈りの力が今以上に多くの人に認知され、より良い社会をつくるための清き力となることを願って。

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